【熊野詣の出発点】熊野若王子神社とは? 歴史・神話・そして平安京の祈りをたどる旅

京都 

今日は、熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)を紹介しましょう。

「あんまり聞き覚えがない神社ですね……和歌山の熊野古道とは何か関係があるんですか?」

もちろんです。この神社は、京都から紀伊(今の和歌山県)の熊野本宮大社(ほんぐうたいしゃ)へ向かう“熊野詣”のスタート地点にあたる神社なんですよ。

熊野若王子神社 

哲学の道の始まりに位置する神社

観光客の喧騒をよそに、小さく静かな時間があった

熊野若王子神社の創建と歴史

熊野若王子神社 境内

ここに神社があることを知らなかった様子の人たちが、

ふと美しさに惹きつけられて一人ひとりと入ってくる様子をうかがえた

「いつごろできた神社なんですか?」

創建は永暦元年(1160年)。後白河上皇(ごしらかわじょうこう)が、熊野信仰の広まりとともにこの地に勧請(かんじょう)しました。“勧請”とは、神様を他の土地に迎えて祀(まつ)ることですね。

「へぇ、そんな昔から……じゃあ、熊野信仰って和歌山だけじゃなくて京都でも流行ってたんですか?」

ええ、平安時代から鎌倉時代、そして江戸時代まで、貴族から庶民まで幅広く支持されていたんですよ。熊野詣は特に後白河上皇が熱心で、生涯で33回も参詣したそうです。

熊野若王子神社 手水屋

後白河上皇と熊野信仰

熊野若王子神社 本殿

「後白河上皇って、そんなに熊野にハマってたんですね」

彼は『今様(いまよう)』という当時の流行歌にも精通し、芸能や宗教にもとても理解の深い方でした。政治的にも宗教的にも、熊野信仰を広めることで民心を掌握しようとした面もありますね。」

「でも、なんでわざわざ京都に熊野の神様を祀る必要があったんでしょう?」

それは、“王城鎮護(おうじょうちんご)”という考え方が関係しています。つまり都(=王城)を守るため、都の周囲に神社を配置して霊的な防御を行うんです。

鎮守社(ちんじゅしゃ)としての役割

境内から少し歩くと山に入る

最奥には滝があるとのこと

せっかくなので向かってみた

「じゃあ、熊野若王子神社は都を守るための神社でもあったんですね。」

その通り。もともとは禅林寺(ぜんりんじ)〈永観堂〉の鎮守社として建てられました。寺院や貴族の邸宅などには、鬼門や裏鬼門などを守る“鎮守社”がよく設けられました。

「神社が守るっていうのは、武力とかじゃなくて、霊的な結界のような?」

イメージとしてはそれで正解です。陰陽道(おんみょうどう)や仏教の思想も混ざって、都を守る霊力のある場所として機能していたのです。

紀州熊野権現と祭神の変化

熊野若王子神社で祀られているのは、熊野三山の神々――特に若一王子(にゃくいちおうじ)です。これは熊野三山のうち、熊野那智大社の祭神です。

「熊野三山ってどこでしたっけ?」

熊野本宮大社・熊野速玉大社(はやたまたいしゃ)・熊野那智大社(なちたいしゃ)の三社です。これらはすべて紀伊半島の奥深くにあります。そこに祀られている神々を“熊野権現”と呼びます。

「でも今は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)が祭神じゃありませんでした?」

よく気づきましたね。明治時代の神仏分離(しんぶつぶんり)によって、仏教色を排除して“神道の神”である素戔嗚尊に祭神が変わったんです。

熊野若王子神社 御祭神

熊野詣の現在

「熊野詣って、今もできるんですか?」

もちろん。熊野古道(こどう)は世界遺産にもなっていて、今でも歩く人が絶えません。昔のように“33回”行けば極楽浄土が約束されるといった信仰は薄れましたが、パワースポット巡りの一環として復活しています。

「33回って、どう数えるんですか?」

基本的には熊野本宮大社に参拝するたびに1回と数えられたようです。途中で記録帳なども用いられたようですが、詳細は時代や人によって異なりますね。

熊野若王子神社 千手乃滝

そこまで時間がかからなかったのに安心

思ったよりも小さいスケールに道を間違ったかと困惑

水量がいつもより少なかったのか

誰もいない京都の東端の自然に包まれてせせらぎを味わった

語彙解説

• 熊野詣(くまのもうで):紀伊半島の熊野三山を目指して行う巡礼。平安時代から庶民までに広まった信仰行動。

• 後白河上皇(ごしらかわじょうこう):平安時代後期の天皇で、文化・宗教に強い影響力を持った人物。院政を行った。

• 勧請(かんじょう):神様を他の場所に迎えて祀ること。

• 王城鎮護(おうじょうちんご):都(王城)を神仏の力で守る思想。

• 禅林寺(ぜんりんじ):永観堂とも呼ばれる京都の寺院。熊野若王子神社の鎮守社だった。

• 鎮守社(ちんじゅしゃ):ある建物や土地を守るために設けられた神社。

• 神仏分離(しんぶつぶんり):明治維新の際、神道と仏教を分離しようとする政策。

熊野若王子神社 桜花苑

また近くのは桜の木が数多く植えられた花苑が。

細い道を抜けた先に隠れ家のように桜の木々が咲き誇っていた

最後に

「熊野若王子神社って、ただの小さな神社かと思ってましたが、すごく奥深い歴史があるんですね。」

一つの神社でも、歴史や信仰の糸をたどっていくと、平安京から熊野の山奥まで広がる物語が見えてくるんですよ。

熊野若王子神社 

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