![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/05/img_3904-1-1024x769.jpg)
京都駅からバスに乗り換え約15分
少し北に登った位置に大きな交差点
嵐電の始発駅が大きく目立ち、たくさんの人が往来する市内の一角
都会の片隅にひっそりと佇む歴史の残滓を味わう散歩に行ってきました
壬生寺
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/05/img_3771-1-1024x769.jpg)
壬生狂言と新撰組ゆかりの地として有名な壬生寺
正暦2年(991年)に園城寺(三井寺)の僧侶である快賢によって、自身の亡き母のために建立。
快賢は仏師・定朝に命じて延命地蔵菩薩像を造らせ、これを本尊として祀ったと伝えられている。
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/05/img_3820-1-1024x769.jpg)
境内にはまっすぐな参道が
シンプル故、美しい作りです
江戸時代には、壬生寺は京都の鬼門を守る寺として信仰を集め、
また、徳川家光をはじめとする歴代将軍の祈願寺としても知られていました。
とにかく鳩が多い
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/05/img_3803-1-1024x769.jpg)
参道の右手には壬生塚、歴史資料館が
壬生寺は、新選組ゆかりの寺としても知られており、
新選組は、1865年から1867年まで壬生村に屯所を置き、境内を訓練場として使用していた。
地下の資料館では壬生狂言で使われる仮面や、新選組に関する資料などが展示されている。
入館料は大人1人300円
壬生寺と狂言が歩んできた歴史を
じっくりと味わえました。
お寺に来たことを忘れるほどの満足感でした。
壬生寺へのアクセス
- 阪急電鉄「大宮駅」、京福電鉄「四条大宮駅」より徒歩15分
- 京都市バス「壬生寺道バス停」より徒歩1分
営業時間
- 9:00~17:00(年中無休)
入館料
- 大人:600円
- 中高生:400円
- 小学生:300円
詳細情報
新撰組壬生屯所跡
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/05/img_3769-1-1024x769.jpg)
初代局長・芹沢鴨暗殺の場
壬生屯所旧跡 八木家として一般公開されており、当時の面影を残す貴重な史跡
のちの新撰組である浪士組が1865年に屯所を構えた場所であり、隊士たちの生活拠点として長らく使用された。
しかしそのわずか約半年後、近藤派の土方歳三・沖田総司・山南敬助らによって襲撃され、自身の部下に暗殺されることとなります。
この八木邸には机や部屋が現像しており、当時の刀傷などが今でも残っているのだとか
時間の都合上、泣く泣く外から見るだけに、、
次こそは中までじっくり見させていただこうと思います
アクセス
- 阪急電鉄「大宮駅」、京福電鉄「四条大宮駅」より徒歩10分
- 京都市バス「壬生寺道バス停」より徒歩1分
営業時間
- 9:30~17:00(最終入館16:30)
- 休館日:毎週木曜日(祝日の場合は翌日)
入館料
- 大人:1,100円
- 中学生・高校生:800円
- 小学生:400円
詳細情報
- 壬生屯所旧跡 八木家公式サイト: https://www.mibu-yagike.jp/
光縁寺
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3848-1-1024x769.jpg)
京都市下京区にある浄土宗の寺院・光縁寺
新選組ゆかりの寺院として新選組ファンたちには知られており、
境内には、新選組総長・山南敬助をはじめ、副長・近藤勇の弟・近藤勇之助、新撰組隊士・伊東甲子太郎、藤堂平助、斎藤利麿など、多くの隊士のお墓が眠っています。
維新期に集団墓地などに埋葬されていた隊士らなどのお墓も、のちに光縁寺に移されたのだとか。
静かな住宅街の中にポツンと存在する歴史の名残。
三方を住宅地に囲まれており、
まるで、彼らが命懸けで紡いだ歴史が
安らかな眠りを見守っているようでした。
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3844-1-769x1024.jpg)
激動の時代を生きた隊士たちが、確かに、静かに
そこにいました。
光縁寺へのアクセス
- 阪急電鉄「大宮駅」、京福電鉄「四条大宮駅」より徒歩10分
- 京都市バス「四条大宮」「壬生寺道」バス停より徒歩5分
営業時間
- 9:00~17:00(年中無休)
隊士の供養料
- 100円
神泉苑
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3866-1-1024x769.jpg)
延暦13年(794)、桓武天皇により禁苑として造営され、
以来天皇たちの遊宴や宮廷儀式、雅遊などが催され、池の西の広大な森は鹿狩りなどの遊猟の場としても利用されていたのだとか。
現在残っている敷地よりも、造園当初はもっと広かったのでしょう。
天長元年(824)、日本中が日照りに苦しんだ際には、 淳和天皇の勅命により弘法大師空海は神泉苑の池畔にて祈り、北印度の無熱池の善女龍王を勧請(呼び寄せられ)した。
池の中島には祈雨の際に呼び寄せた善女龍王社が残っている。
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3869-1-1024x769.jpg)
二条城を前にして思わぬ素敵な出会いがありました。
平安の名残とその優雅さを感じさせる庭園
あまりの満足感に急く足も落ち着き、じっくりと景色を楽しみました。
二条城
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3978-1-769x1024.jpg)
二条城は、京都市中京区にある国宝・世界遺産に指定された城郭です。
1603年に徳川家康によって築城され、江戸時代の歴代将軍の上洛時の居城として使われていました。
現在では、二条城とその周辺は二条城公園として整備されており、多くの観光客が訪れています。
前も後ろも右も左も皆んな観光客の方たちでした。
逆に自分が部外感を持ってしまって、少しソワソワしてました、、
大政奉還の舞台
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3901-1-1024x769.jpg)
1867年10月14日、徳川慶喜は二条城の大広間において、朝廷に政権を返上することを宣言しました。
二の丸御殿では、実際に大広間そのものを見ることができます。
この「大政奉還」は、日本の歴史における大きな転換点となりました。
日本人なら誰もが知る、大政奉還の舞台。
あの江戸幕府による日本の統治という一つの時代が終わった場所でもあります。
築城から400年たった今でも、其の威光は陰ることなく
燦燦と先の時代にまで届いていました。
二の丸庭園
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3916-1-1024x769.jpg)
二の丸御殿の次は道沿いに進むと
大きな書院造の庭園が見えてきます。
日本庭園についてあまり詳しくありませんが
個人的には兼六園よりも好きなお庭でした。
スケール感やその意義は全く違いますが、
御殿側のどの位置からでも美しく鑑賞できるように工夫されており、
庭園の美しさとここでの将軍の暮らしが混ざり合い
庭園とともにあった当時の歴史を感じられました。
本丸庭園
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3923-1-1024x769.jpg)
内堀に囲まれた本丸、天守閣側には
先ほどまでとはがらりと雰囲気が変わり、
枯山水庭園が広がっています。
曲線的な園路と部分的な勾配が立体的で奥行きのある演出を醸し出しています。
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3932-1-1024x769.jpg)
天守閣跡からの眺めは大変美しく、
御殿や庭園が一望できます。
天守から見ても別格に美しい庭園だったことでしょう。
来てよかったです。
![](https://parhelic-circle.com/wp-content/uploads/2024/06/img_3967-1-1024x769.jpg)
閉園時間ギリギリに入ったこともあり、
展示館には入れませんでした
二の丸御殿の本物の障壁画が飾られているようです
二条城に来たならここは必須でしたね
次はもう少し早く来ることにします。
さて今回は、四条大宮駅から出発して
新撰組の歴史と二条城を観光してきました。
実際に使われていた家屋や当時の刀傷、現代にまで息づく匠の技術など
古いはずなのにどれもこれもが新鮮に思えるものばかりでした
まだまだ見逃している部分や、勉強し直して見てみると新たな発見もありそうなので
近いうちにまた行ってみようと思います。
ありがとうございました。
コメント